2014年3月29日土曜日

ローンサバイバー 映画感想 ~リアルな銃声音の中で繰り広げられる激しい銃撃戦に圧巻~

ローンサバイバー、ピーター・バーグ

採点・・・80点

今回は映画 ローンサバイバーの映画レビューというか、映画感想です。

アメリカの特殊部隊「ネイビーシールズ」の事実に基づいた戦いを描いた映画です。
冒頭ではネイビーシールズに入隊するための過酷な訓練が描かれており、彼らはその訓練に耐えぬいた選りすぐりの精鋭たちであることが伺えます。

「ネイビーシールズ」を描いた同様の映画としては、最近では「ゼロダークサーティ」がありますが、こちらは最終的に「敵地に攻めこむ」のに対して、ローンサバイバーは「敵に囲まれ、追い詰められていく」場面を描いています。

作戦に参加した4人は、任務中に現地のヤギ飼いに見つかり、彼らを一度は拘束するものの、彼らをどうするかで揉めます。拘束したままにして、彼らが死ぬのを待つか、開放するか、はたまた殺してしまうか・・・。メンバーそれぞれが主張することが異なり、それぞれの人物が考えの重点を置く部分が異なることが伺えます。
結局彼らを開放したことで、最悪の事態に陥ることになります。

タリバンとの激しい銃撃戦は、全方位から聞こ、反響する非常にリアルな銃声音が映画館内を飛び交い、戦場の恐ろしさが感じ取れます。
追い込まれるシールズは、ほとんど崖のようなところから飛び降りたりもしますが、転がり落ちながら身体が岩に叩きつけられるシーンが何度も出てきます。

これが痛い。痛い。本当に痛い。

鈍い音とともに何度も頭や身体を打ち付けられます。体中を打ち付けられながらも、それでもなお戦い続けられる戦闘能力のあるシールズの凄さは圧巻です。

そんな彼らもついにはラトレル一人となります。そのラトレルを救ったのは、見た目ではタリバンと区別のつかないパシュトゥーン人です。

そのパシュトゥーン人は、ラトレルを命を懸けて守ろうとします。なんとも皮肉なものです。
シールズがヤギ飼いの命を開放し、シールズがタリバンに命を狙われ、そのシールズをパシュトゥーン人が救う・・・。
繰り返される殺戮の歴史の裏側で、同じように命を「救う」という歴史も繰り返されてきたことが伺えます。
殺戮も救うという行為も、全ては「人間」がやっていることです。

人が殺し合う中で、ある人はある人を助け、命を助ける・・・。
こんなことであるならば、最初から殺しあうことなどしなければいいのに。
なぜ人間同士で殺し合い、争いが起こってしまうのか。

結局は戦争、はたまた人間の行う殺戮行為に対する答えの出ない疑問にたどり着いてしまいます。

この映画はアメリカ主体の作品であり、「この作戦での戦死者に捧げる」的な意味合いも持っている映画なので、決して平等な視点で描かれてはいないと言えます。
なので、最後は「アメリカは世界の敵と戦ってる」みたいに感じ取れる訳ですが、アメリカの行為は果たして本当に正しいのかどうかは、疑問が残るところでもあります。

繰り返し制作される戦争映画。
戦争映画が作られ続ける限り、実際に世界で戦争は続いているということを意味しているのかも知れません・・・。
戦争映画が作られなくなる時が、早く来ることを祈りたいものです。


0 件のコメント:

コメントを投稿